インドア日記

ひきこもり系オタクのアウトプット置き場。アニメ、ゲーム、読書感想など。思いついたことを書いたりしています。

映画感想『ファインディング・ドリー』 やろうと思えばなんだってできるというメッセージが涙腺に来た。

 

 金曜ロードショーで『ファインディング・ドリー』を見た。

 

 

 オタクでアニメ好きで毎クールアニメを追いかけている自分だけど、実はディズニー、ピクサー作品は範囲外だった。なんというか、子供向け家族向け大衆向けというイメージで、長年率先して見ようと思っていなかった。

 でもそのイメージは『ズートピア』を見てひっくり返った。

ズートピア』がすごく好評で「そんなに好評なら見てみようかな」と見てみたら、その世界観にはまってしまった。

 それに作品に込められた社会風刺やメッセージがびしびしと感じられつつも、きちんとまとまっていて面白い。今までのイメージがひっくり返ってしまった。食わず嫌いをせずにもっと早く色々見てみたほうがよかったなあ、と後悔した。

 

 

 それで今回見てみた『ファインディング・ドリー

 可愛く個性豊かなお魚さんが繰り広げる冒険……というイメージだったけど、いざ見てみたら、これ『障害』を盛り込まれた話だった。

 前作のニモを見ていたときは、ドリーはそういう個性のキャラとしか思っていなかったけど、知識を持った今ならドリーは障害を持っている魚として目に映る。

 私はドリーは発達障害なのかと思ってみていたんだけど、どうなんだろう。

 ネットで調べてみると、元のセリフでドリーは『短期記憶障害』であると言っているらしい。私は発達障害だと思って見ていた。

 何でもすぐ忘れちゃうドリーに対して、ドリーの両親は幼いドリーになんとか工夫して覚えさせようとしたり、ドリーに振り回されてマーリンはドリーを拒絶してしまったり、そしてお気楽に見えたドリー自身、そんな自分に対してパニックになってしまう…。

 ……そんなシーンたちがすごく心にきてしまった。

 

 なぜかというと、私自身できないことが多い人間なのだ。発達障害の診断は貰っていないし、調べてもらったら診断がもらえるかもしれないけど、とりあえず人から見たら、「え、どうしてこんなこともできないの」というレベルの不器用だったりする。

 余談だけど、栗原類が自分が発達障害を持っていることを母親に教えてもらった時、栗原類のお母さんはわかりやすく伝えるために「ドリーと同じなんだよ」と言ったらしい。*1

 そのエピソードを自分の母親に伝えたら、「お前も同じだよ。ドリーだよ」と言われてしまったことがある。…え、マジで…? と愕然とした。

 母親は私が幼い時から、私ができないことをできるようになるまで根気よく付き合ってくれた。色々あるんだけど、例えば自転車。私は自転車がなかなか乗れない子供だった。母親は自転車を車に積んで、いろんなところに連れて行って乗る練習をしてくれた。何年も。その練習が無かったら、今頃乗れなかったと思う。

 だけど「上達するまで人より何倍も時間がかかる」というものは治っていないし治りようがなく、やっぱり他の人がすらすらとできることが自分にはできないという事実を目の前にすると、自分がすごく嫌になる。

 どうしてそんなこともできないのだ、すぐに覚えられないのだと、自分で自分が情けなくなってしまう。

 そういうのが思い出してしまって、最初のドリーの両親がドリーに何とか家路を覚えさせようと頑張っている姿をみるだけで、「うわぁ…」と心に来てしまった。

 

 

 ドリー以外にも、色々な障害を持ったキャラクターが活躍しているこの作品。

 やっぱり、この作品に込められていたメッセージというのは、最後にドリーの両親が言った(うろおぼえで間違えていたらごめんなさい)、「やろうと思えば何だってできる」ということなんだろう。

 ドリーはすぐに物を忘れてしまう子だけど、両親が教えてくれたことは覚えていたり、アイディアでいろんな困難を乗り越えていった。

 ラストは、ドリーとマーリンは海の景色を眺めている、ドリーにしては静かな雰囲気で終わって驚いたんだけど、そのシーンが自分と重なったように見えた。

 

 

 先ほど、自分は自転車がなかなか乗れない子どもだったと書いたけど、それには続きがある。

 自転車がなかなか乗れなかった子供である自分は、自動車の運転がなかなかうまくできない大人であることが、教習所に行って発覚した。考えてみれば、自転車よりもさらに複雑になった車を、自転車に乗るのに苦労していた自分がすぐに乗りこなせるわけなんかなかった。でも私は周りの人間がすいすいと運転しているのを目にし、自分もできるもんだと思い込んでいて、教習所に入って現実を突き付けられた。

  教習所のコースをただぐるぐる回るだけの授業を4回もやり直され、なんとか免許をとっても運転が怖くてペーパードライバーになり、その後親を隣に乗せ練習を積み、最近ようやく一人で道を覚えたところなら行けるようになってきた。その間5年ぐらいはかかっている。

 母親は「自転車で長いこと手こずっていたんだから、レベルアップした車にてこずるのはわかっていた」とあっけらかんと言ってくれたが、私はずいぶん長い間「乗れない自分」に劣等感を持っていた。

 

 

 親を隣の乗せ練習を積み、時には嫌になったりもしたが、最近は車に対する恐怖心も薄くなってきた。一人で自分の行きたいところに少しずつ行けるようになってきた今、ペーパードライバーももう卒業だな、と思うことができるようになった。

 

 最近、一人で自分の行きたいところに行って、周りの風景を見ると、「あー、遠いところまでこれるようになったんだな…(県内)(家から30分ほど)(いっても、それほど遠くない)」と感慨深く思ってしまう。そんなときの自分と、ラストの静かなシーンが重なってしまった。

 

 

 そういうことを思い出させてくれた映画だった。  

 

 ドリーとドリーの両親が再会するシーン。ドリーの両親が並べた貝殻が長く続いているのを見ただけでうるっとくるなんて、自分の涙腺も脆くなったなと思うんだけど、この映画よかった。

 あと、タコのハンクがかっこいい。タコなのに。