インドア日記

ひきこもり系オタクの二次元記録用ブログ。アニメやゲーム、読書の感想を書いています。たまに日記的なものも。

読書感想『人斬りの業』

 

人斬りの業

人斬りの業

 

 

 史実の以蔵さんも少し知ったし、幕末がどんな時代だったのかも軽く勉強した。

 そして今度は岡田以蔵が主人公の小説を読んでみることにした。

 

 

 

 それで読んでみたこちらの本、史実と創作部分がほどよく混ざり合っていて、人斬り以蔵の最期まで描かれていた。おもしろかった。

 土佐の上士と郷士差別意識の歴史的背景や土佐勤王党はどのようにして誕生したか、武市先生と龍馬はどうして袂を分かったのか…など歴史の背景がきちんと描写されていて、以蔵を取り巻く流れがわかりやすかった。

 

 

 この物語は岡田以蔵が主人公なんだけど、色々な人物が登場し視点も変わる。群像劇のようだった。

 以蔵パートは暗い。読んでいて少しつらかった…。

 師匠の武市半平太は以蔵を「足軽の倅」という差別的な目で見ている。以蔵の両親は借金苦で自殺してしまい、親戚は冷たく、天涯孤独の身になってしまう。以蔵は居場所も無く、自分には剣しかないという意識を強めていた。

 ちょっと史実の方も勉強したので、以蔵の両親が自殺したという部分はこの物語の創作だなというのはわかったけれど、どうしてこの物語ではこういう風にしたのだろうと考えると、彼には剣しかないというのを強調したかったからなのかな…と思ったりした。

 以蔵パートとは逆に龍馬視点になると、明るく勢いがあった。龍馬の性格的なものもあるし、その龍馬を周りも「こいつはただものじゃねえ」と意識している。それに「日本をなんとかしないといけない!」という人々で集まっていた。

 この対照的な雰囲気がちょっと印象的だった。

 

 

 それでも暗い以蔵視点で、ぱっと明るくなる時があって、それが以蔵と龍馬の道が交差したときだった。その交差した時、以蔵は龍馬に救われている。

 龍馬から刀の肥前忠吉を渡された時、人斬り以蔵だとわかっていながらも勝先生の護衛を任せたとき。それらの前に冒頭にも龍馬に救われたシーンがあり、以蔵は龍馬を恩人として見ている。

 龍馬に救われて勝先生の護衛をして、人斬りとは違う別のやり方を見つけようとする以蔵だったけど結局彼は「人斬り以蔵」に戻り、無宿鉄蔵になり、捕縛され拷問、そして斬首されてしまった。史実通りの最期だった。

 

 

 最初パラ読みの段階、このシーンが目について「以蔵さんの話だからやっぱりラストはそうなるんだ…」としょんぼりした。何か期待していたわけでもないんだけど。

 小説家さんが人斬り以蔵を書くとき、坂道を転がるような転落人生が書きごたえあるのかな…とか想像したりもした。

 でも最後まできちんと読んだ後、以蔵が人斬りになってから「人斬りの業」が生まれ例え龍馬から救われたとしても「人斬りの業」は残っているわけで。

 史実の以蔵さんを知って、このまま勝先生の護衛を続けていれば…とか違う道を選べばこんな最期にはならなかったのかなと想像していたりもしたんだけど、人斬りの罪が巡ってくる、因果応報、報いを受ける…その最期までが彼の人生だったんだなと感じた。

 

 

 この物語の中では両親が自殺して孤独になった以蔵だけど、作中では愛する女性と出会い、顔を見ることはできなかったけど子どもも生まれている。それがちょっと救いなのかもしれない。

 

 

 著者の方の以蔵像というのが、

 以蔵は元々、土佐の足軽出身の男であった。その男が幕末の日本が発する熱にうなされて、その現場に足を踏み入れた、

 (世は何か面白そうじゃ)

 見れば丈夫な長身と人並み以上の腕力がある。

 その手に剣を握って、以蔵はそれを探そうとしてのかもしれない。

 信念というほどのものはなく、言ってしまえば好奇心のみに支配された巨体が岡田以蔵という男であった。

 そうするうちに、剣術の師匠に武市を得て、竜馬と接近するも、流されるまま武市の手先となった。その手で人を切っているうちに以蔵の精神は既に崩壊してしまったのかもしれない。

 文中に書かれていたコレなんなんだな…というのを、作中で描かれた以蔵を読み感じた。