インドア日記

ひきこもり系オタクのアウトプット置き場。アニメ、ゲーム、読書感想など。思いついたことを書いたりしています。

2019年、4月1日のこと。

 

 新元号は「令和」だった。

 世の中のブームに乗り遅れることに定評がある私だけど、今日はテレビの前にスタンバって映像でしか見たことがない元号を発表するあのシーンを見ようと、今か今かと待ちわびていた。お昼ご飯を食べながら。

 そしてきちんと生放送で「令和」が発表されたシーンを見た。菅官房長官の話も聴いたし、安倍総理の談話も聴いた。テレビのコメンテーターたちが「予想とは違いましたね…」と言って驚いていたようだったけど、そのコメントにちょっと笑ってしまった。逆に何を想像していたのだろうか、と。

 ツイッターを覗いてみると発表されてすぐ大喜利が始まっており、みんな頭の回転が速いなあ~と感心してしまった。

 

 

 実は今日4月1日を迎えるのが、なんとなく嫌だった。

 なんでだろうと考えて答えはすぐにわかったのだけど、4月1日は新年度が始まったり新社会人の入社日だったり、色々な新しいものが始まる変化の日だったからだ。

 それが社会の波に乗れずに溺れてしまった私にはズキズキくる。

 ただでさえこの日は毎年「時間はもうこれだけ流れましたよ」とはっとさせられ、周囲から取り残されているような感覚を叩きつけられるのに、今年は新元号の発表で「時代も変わりますよ」と言われているようなもんだから、なんとなくザワザワしてしまっていたんだろう。まあ、それは成長が遅い私個人の問題だ。

 でも「令和」が発表され、テレビでも「令和」一色、ツイの大喜利大会を見ていたらそのざわつきもうやむやになってしまった。

 

 

 

 平成生まれ平成育ちの自分にとってみたら、元号が変わるなんて想像もしていなかったことだった。これから平成も過去の時代になることだろう。

 「昭和のかおりがする」とよく言えばレトロ、悪く言えば古臭くダサいという意味で言っていたことが、今度は大きくなった令和育ちの子たちから「平成のかおりがする」と言われるわけだ。そして私が新社会人になって平成生まれだと言った時に周囲の大人たちに驚かれたように、令和生まれで新社会人になった子たちを見て時代の流れの速さに驚くようになるのだろう。うわー。

 よく「あんたも、もうオバサンなんだから」と母から言われるようになったが、確かにその通りなんだけど精神年齢は20代前半から全然成長していなので、オバサンになりきれていない。

 けれど今年は昔は楽しんでいた、ネットの祭りともいえるエイプリルフールをなかなか楽しもうという気になれなかった。

 昔はネット中を巡回して4月1日しか遊べないゲームを遊びつくそうとし「今日が終わらなければいいのに」なんて名残惜しんでいたものなのに、今は「面倒くさい」という気持ちの方が強くなっていた。ネット巡回・ゲームをする体力が無くなっているのかも。ああ、年取ったなあ。若いころは5時間ぶっつづけでニコ動を見ていたときもあったのに、今はなるべく体調良くしていたいからそんなことできない。時代も変わるわけだよ。

 

 

「歴史的な一日だから何かブログに書き残しておこう」と勢いで思ったことを思いつくまま書き始めたけど、世の中のお祭り的なムードにいまいち乗り切れていない文章になってしまった。