映画感想『ボヘミアン・ラブソディ』
視聴前「何だかわからないけどこの映画、ちょっと前に話題になっていたよね~。話題になってたし見てみるかな。Queenよく知らないけど」という自分が、視聴後、母の持っていたQueenアルバムを借り毎日聴いているぐらいには、心揺さぶられた映画です。
テンションを上げたいときには『Don't stop me now』を最近聴いています。
以下、ネタバレ感想です。
フレディ・マーキュリーの半生を描いた今作。
ここから先は私が思ったことを書いているということを、最初に言っておきます。
だから間違っているかもしれないし、視点が変かもしれないです。
私は、この映画を見ていてフレディは「愛を求めた人」「愛の人」という感想を持ちました。
映画の中盤くらい、フレディとメアリーの間に溝ができポールの影響が大きくなっていって、フレディは寂しさからたくさんの人を呼び込みます。
なんでそんなに人を求めるんだろう・・・。やっぱり何かが欠けていて、それを埋めるためなんだろうな・・・と思ったのです。
でも最後まで見てみると、フレディは何も失っていないんです。
メアリーとの会話から自分には自分を想ってくれる家族の存在を思い出し、フレディは自分を利用するだけの存在(=ポール)を捨てることが出来ました。そして家族の元に戻ります。
戻った先は、血のつながった家族と家族のようなバンドのQueenです。もう一つは新しい恋人のジムかな。
フレディは何も欠けていないし、むしろ自分が欠けている・・・と思い込んでいた。
生粋のイギリス人じゃない。バイセクシャル。人から色々言われるでしょうし、映画の中盤での記者会見は、昔って「そこまで聴くの?」ぐらいひどいものだと思ってしまいました。
父親は厳格そうな人で、映画の序盤を見る限り認められることは無かったじゃないかな・・・と思ってしまいました。父親に認められたかったのかな。
名前も変えて、違う自分になりたかったのかな・・・。
歌っている間は自分をさらけ出せたけども、その家族のようなQueenだってバンドメンバーも結婚相手ができそれぞれ家族が出来て、自分との違いを見せつけられちゃったんじゃないかな。運命の人だと思ってたメアリーは溝ができて、ますます他に愛を求めていって・・・。(いやでもメアリーがいなくなったのは、ゲイとかバイとかの以前に、浮気が悪いって)
とか、つらつら考えて、フレディは自分で自分を愛せなかった人だったのかな・・・と私の中でまとめることができました。
メアリーと会話してQueenの元に戻り、彼ら(メアリーやQueenの皆)が今も自分を心配してくれている、愛してくれているとわかって、自分で自分のことを愛することが出来るようになった。
というか、ジムが言ってた。「あなたが自分で自分を愛することが出来るようになったときに、また会いましょう」的なことを・・・! (間違ってたらごめんなさい)
最初は反抗的で父親から認められていなかったフレディが、映画の終盤ではライブエイドに出演するという形で父親の言葉を守り認められた・・・というのが感慨深いです。
この映画Queenを知らなくても、Queenの曲は現代でもそこかしこで流れているので「あ、この曲聴いたことがある!」「これ、Queenの曲だったの?」という体験が見ていてできました。
映画を見終わった後「うう、よかった・・・(涙)」とネット検索するわけですよ。
そして俳優さんたちと実際のQueenたちがそっくりなことに、驚愕するわけです。
くりそつすぎないか・・・!?
ライブエイドの名前を聞いたときに、一緒に見ていた母親が「・・・ライブエイド!」ガタッとなったので「あの伝説の・・・?」とか言いそうな雰囲気だな・・・と思ったのがちょっと印象的でした。親は当時、TVでやっていたライブエイドを録画してらしいです。
あと、Queenの曲は現代日本でもそこかしこで流れているから、知らない人間でもどこかで聴いたことがあるので「あ、この曲、Queenだったんだ!」という体験も出来ます。ジョジョのスタンド名ここから取ったんだ・・・という気持ちにもなれます。
世代を超えて愛されているバンドというのが、こういうところで感じられましたね。