インドア日記

ひきこもり系オタクのアウトプット置き場。アニメ、ゲーム、読書感想など。思いついたことを書いたりしています。

アニメ感想『どろろ』(1969版) 

第2話 百鬼丸の巻・その二

 

 2019年版アニメの『どろろ』を見終わってから旧版アニメが気になっていたのですが、Youtubeで期間限定で配信してくれたので一気見しました。

 

 旧アニメと新アニメの一番大きな違いはやっぱり百鬼丸ですよね。

 見た目も違いますが、身体の部位が奪われていること→奪われたことで情緒が育っていないことなどが新アニメでは描かれていましたが、旧アニメ版の百鬼丸は大人でした。驚いたのは旧アニメの百鬼丸は声帯を取り戻すまで、相手の頭に直接テレパシーを送って話していたみたいで「気づかないものなの??」と思ったりしました。

 

 

 

 この旧アニメの『どろろ』では、大抵どろろが何かしら面倒事に巻き込まれるか首を突っ込んで話が進み、その間百鬼丸の兄貴はふらっとどこかに行ってしまったりして二人一緒にいることが少ないです。メタ的に、兄貴は動かしづらかったんでしょうな・・・。

 

 悟飯のピンチに助けてくれるピッコロさん、りんちゃんのピンチに助けに入る殺生丸様、ルキアちゃんのピンチに現れる白夜様などなど、小さい弟(妹分)のピンチに助けてきてくれる兄貴という定番なシーンが私は好きなのですが、このアニメでも百鬼丸の兄貴はどろろのピンチに颯爽と現れ助けてくれます。50年以上前のアニメでもこういうシーンがあったことに驚きました。そして古いアニメでもそんなシーンを見ると、萌えました。

 

 そんな「どろろのピンチに助けてくれる兄貴」という話の展開が多いので、見ていて「アレ? けっこう兄貴はどろろのことが好きなのか?」って思ってしまったんですよね。兄貴にとってどろろは行きずりの関係性だし、放っといても別にいいクソガキ枠じゃなかったんだ・・・って段々思うようになってきたんです。

 どろろを助けないとそこで物語が終わってしまうから・・・っていうメタ的なツッコミは無視します。

 

 

 でも考えたら、兄貴はどろろのこと好きになって当然だよなって見ているうちに思ってきたんです。

 兄貴は実の父親からは妖怪に身体を捧げられて捨てられ、妖怪に狙われる羽目になり、弟からは差別されわかり合えないまま殺し合い、妖怪問題を解決したところで現地の人からは百鬼丸自身も化け物扱いされ忌み嫌われます。

 そんな中、事情を知ってもどろろは兄貴についてくるんですよね。百鬼丸にとっては、どろろだけなんですわ。自分を慕ってついてきてくれるの。

 そんなの、兄貴、どろろのこと可愛く思ってもしゃーないって感じですわ。

 

 そういう風に考えると「けっこう兄貴はどろろのことを支えにしていたのでは?」とか「依存していたのは兄貴のほうでは?」と思ってしまいました。

 反対にどろろの方は小さく守られる側だけど、けっこう自立していて、兄貴がいなくても一人でもなんとかできそうな感じです。というより、してきたんですよね、どろろの場合は。そうやってなんとか生きてきた。

 大人のはずの兄貴分と世話をされる側である子分の関係性が、実はギャップがあるのが面白く見えてきました。

 考えすぎかも知れないですけど。

 

 

 

 でもラスト、実の父親と決着をつけた兄貴は「もう誰にも会いたくない」とどろろと再会せず一人旅に出ます。

 私は原作の『どろろ』は未読で未完であることは知っていたのですが、この旧アニメの『どろろ』はそれはそれで一応完結しているんだなとは思いました。

 最終回で駆け足に見えましたが、全ての妖怪を倒し、実の父親と決着をつけ、自分の身体を取り戻すという目的を果たせました。ただ身体を取り戻したところで、兄貴に得るものがあったかというと・・・。「いや、身体でしょ」と言われたらそうなのですが、救いが無かったな・・・と。

 

 ラスト、実の父親が最後の妖怪になっていたというオチは面白いな・・・と思いました。作中で奥方から「親の心人の心が無いのか」と言われていましたが、実の子の身体を妖怪に捧げた段階で心はすでに人でなしになっているよね、という落としどころだったのかもしれません。

 そこまで言及はされていませんでしたが奥方から責められたことで半狂乱になり、奥方を斬り、最後は百鬼丸に斬られる・・・という、因果が返ってきていました。新アニメでも多宝丸は死に奥方も死んでしまっていたので、旧アニメ版でも同様だったのかと見ていて思いました。

 

 最終回の1話でどろろと離れ一人になった百鬼丸は妖怪を全て倒し、実の父親との決着をつけ、そしてどろろと会うこと無く一人で旅立つという駆け足だったので、見ている私としては「・・・これ、もうちょっと親父との対決を早めにすれば、どろろちゃんによる兄貴のメンタルケアも入れられて、兄貴は救われる流れにもっていけたのでは・・・?」と尺不足によるあのラストだったのかと思わずにいられなかったんです。

 が、wikiによると、

 

「じゃあ、百鬼丸の最後はどうなるんですか」と問われ、「自分の体を取り戻したとき生きる目的を失うわけですから、当然坊主になって放浪ですよね」と返答した

*1

 

 監督がそう言ったらしいので、尺の都合とか関係なく、百鬼丸の兄貴が救われること無く一人旅立つのは既定路線だったのかもしれないです・・・。

 

「だったら旅をしている段階で身体を取り戻して何がしたいかとか、新しい生きる目的を作ってやれよ! そのためにどろろちゃんがいるんじゃないのか!!」と正直、これ読んでツッコミを入れました。

 

 どろろは兄貴がいなくてもなんとかできそうだけど、兄貴はどろろがいないとダメっぽいから、どろろちゃんは早く兄貴を追いかけていって欲しい・・・と最後に思ってしまいました。

 

 新アニメ版は旧アニメ版の流れのポイントをちゃんと押さえていたな~と見ていて思ったので、それでいてまとめて兄貴に救いがあるラストだったので、旧アニメ版を見終えた今になって新アニメのラストを思い出し「圧倒的感謝」が溢れてきました。

 もう一回見直そうかな。

 

 

 

 私、けっこう『どろろ』という作品が好きなんだな・・・と最近気づいてきたので、原作の『どろろ』や『どろろと百鬼丸伝』という今連載している漫画の方も読んでみたいと思います。