インドア日記

ひきこもり系オタクのアウトプット置き場。アニメ、ゲーム、読書感想など。思いついたことを書いたりしています。

映画感想『漁港の肉子ちゃん』

漁港の肉子ちゃん

 

 あらすじ。

 デブで明るく惚れっぽい肉子ちゃんは、ダメ男に引っかかり別れる度にボロボロになって、幼い娘のキクコちゃん(キクりん)を連れて各地を転々としていた。

 そして、付き合っていた作家志望の男が蒸発し、追いかけた先の漁港のある街に、娘と一緒に暮らすことになる。

 視点・語り手はキクコちゃんで、彼女の成長物語だった。

 

 

 この映画、本来なら「私は見ない」枠の映画だったんですよ。

 私は視線がナナメっている、陰キャなオタクなので「明石屋さんまプロデュース」「吉本芸人が声優で出ている」「Cocomiが声優やっている」という、アニメオタクにとっての個人的な地雷が見えた段階で避けていました。

 でも、以前はてなブログでこの映画の感想記事を読み、それが良い感想だったので興味を持ったのです。それで見てみることにしました。

 以下、ネタバレありです。

 

 

 

 

 

 

 ・・・・・・いい映画でした・・・。

 

 劇中、二回ぐらい涙腺が緩みました。

 本当、ナナメに見ちゃダメだね・・・。反省です。世の中をナナメに見るなんて、年取ってくると、ただもったいないだけってわかってきたし、自分で自分の首を絞めているだけなんで、治さないと治さないと・・・と思っているのですが、いい映画でした。本当に。

 感想記事書いてくれたブロガーさん、教えてくれてありがとうって感じです。 

 

 地雷ポイントは知っていた癖に話の内容は知らなくて、ストーリーの前情報は知らずに見たので、開始しばらくはこの話がどういう話なのかわかりませんでした。

 でも、不穏なポイントはバラまかれていて、

 物語の進行役のキクコちゃんは、小学5年生の女子であるということ。

 転校生である、よそ者であるということ。

 そんな多感な年頃の女の子のお母さんが、何かあまり細かいこと気にしてなさそうなデブであるということ。

 ちらちら見える女子の派閥関係。

 不思議な男の子の存在。

 なんか鳥居とかヤモリとか動物が独り言、言ってる。どういうこと?

 ・・・と、何か嫌なことありそうだな・・・と身構えていました。

 見ていて、女子たちの微妙な雰囲気。子どもだからこその、微妙な人間関係の駆け引きに遠い昔の思い出を思い出してしまいましたよ。大人になって忘れてしまった空気感をどうして再現できるんだろう・・・と私は感心してしまいましたよ。

 嫌な流れになったら見るのやめようかな・・・と思っていたのですが、最後まで見ようと決まったのが、キクコちゃんが友達のマリアちゃんのお家に呼ばれて、行こうか行かないかで迷っているシーンでした。

 呼ばれて行ったら、派閥争いに巻き込まれて微妙な立ち位置になってしまうだろうと迷っているキクコちゃんに、肉子ちゃんは「行くのやめたらいいじゃん。風邪引いたとか言って行くのやめたら」(意訳。大体こんな意味のセリフ)とカラっとした笑顔で言ったところです。

 それを見て「あれ・・・? 説教みたいなこと言わないんだ・・・」といい意味で肩すかしを食らい、肉子ちゃんの言葉で体が軽くなったキクコちゃん共々見ているこちらも軽くなり、映画のストーリーに吸い込まれていきました。

 

 

 上記にも書きましたが、劇中、自分の涙腺が緩んだのは二回ありまして、その一つがマリアちゃんと仲直りするシーンです。(これがまた大々的な喧嘩をしたというわけでもないのが、生々しかったです)

 顔を動かすのをやめられないという二宮少年に話を聴いてもらい、それからキクコちゃんは謝りに行ったのですが、その場面でキクコちゃんは結構、辛かったんだなというのがわかったのです。

 というのもキクコちゃんの語りは結構淡々としていまして、彼女自身感情をあまり表に出さず平坦としていました。それが二宮少年に説明するときに爆発して、泣いてしまうわけです。そこで、ああ、彼女は我慢していたんだなとわかったのです。

 モノが独り言を言っているのも、彼女なりに世の中に幻想フィルターをかけて、やり過ごしていたんだろうな、と思ったのです。白状すると、子どもの頃、私も似たようなことしてた・・・。

 自分から謝りに行ったキクコちゃんは、すごいです。私だったらできなくて、自然消滅させちゃっていただろうな・・・。

 

 

 それで、もう一つが盲腸で倒れて入院したとき、お世話になっている焼き肉屋さんの店主、サッサンから「どうして遠慮する?」と聴かれて「自分が望まれて生まれてきた子じゃないから」とキクコちゃんが答え、そのあとのサッサンのセリフです。

 

 生きている限り、みんな恥を掻く。

 子どもらしさというのは、大人が押しつけた幻想。

 みんな、それぞれでいい。それと同じようにちゃんとした大人はいない。

 辛い思いや恥ずかしい思いは、ずっとしていくことになるから、子どものうちから恥を掻いて迷惑をかいて、備えておけ。

 

 ・・・という意味のセリフで、全くその通りで、我が身につまされましたよ。

 ちゃんと、恥掻いてきたかな。子どもの頃から、嫌な思いや恥ずかしい思いをするのが嫌で逃げて逃げてきたな・・・と自問自答しました。

 

 

 最後、キクコちゃんと肉子ちゃんは本当は血の繋がっていないと明かされるのですが、もうこの段階からすると視聴者の自分は「知ってた」状態ですし(逆に、あれ、血が繋がっていないって私が見逃しただけで、どこかで言っていたかな・・・と思ったレベル)、キクコちゃんも「とっくに知ってた」だったので、衝撃の展開という流れにはなりませんでした。

 キクコちゃんは、生みの親よりも育ての親である肉子ちゃんを選んだ・・・という流れでした。

 

 

 初見では、細かいこと気にならなそうな明るいデブという印象だった肉子ちゃんも、キクコちゃんの成長を通して見ると、色々あって本人もボロボロだっただろうけど、それでも明るく前を向いているんだろうな・・・という風に思い直しました。

 そりゃそうだよな。傷つかない人間なんていないし、悩まない人間なんていないのだから。決めつけ、ごめん。

 

 

 また好きだな・・・と思ったのは、キクコちゃんの気になる少年、二宮くん(CV.花江夏樹)なんですけど。二人の距離が縮まっていくのを、ほわほわした気持ちで見ていました。誰にも教えていない秘密の場所を、教えてもらうのいいよね・・・。

 それはそれとして二宮少年、「顔を動かすのをやめられない」という癖があったり、ことぶきセンターという場所に通い模型を作っていたり・・・と、知識が持った、大人になった私から見たら、「こういう症状の子かな」と症状の名前を思い浮かべてしまいます。

 それでもキクコちゃんから見たら「顔を動かすの気持ちいいよね」ぐらいだったり、不思議で、気になる男の子という立ち位置でした。

 私も小学生ぐらいの頃、人見知りが激しく男子が苦手な子だったのですが、その中で唯一楽しく話ができた男の子がいたのですが、その子は「多分、何か障がいを持っていた」子でした。

 大人になった今なら「障がいの名前はあれだったのかな」と思うのですが、当時はそんな知識は無く、ただ話ができて楽しかった男の子でした。多分、ただ気が合ったんですよね。

 

 小学生女子の微妙な雰囲気といい、昔のことを思い出してしまう映画でした。

 だから余計に、涙腺に響いたのかもしれません。

 

 

 

 地雷ポイントであげた「吉本芸人が声をあてている」のも、動物やモノの独り言(実はキクコちゃんの独り言)という、さらっと流れていくものなのでエンドロールで初めて見て気づき、「お前たちどこにおった!?」レベルで気になりませんでした。

 語り手であるキクコちゃんはCocomiがあてていますが、キャラに合っていました。キクコちゃんは見た目がボーイッシュですが、健康的なかわいさがあり、Cocomiの声も含めて可愛いと思いました。

 そして肉子ちゃんは、大竹しのぶ。全然気づかなかった。すごい。

 

 

 多分、何も知らずに見たら、明石家さんまがプロデュースしたなんて気がつかないまま終わると思います。「あ、最後にさんまさん出てる!」ぐらいしか思わなかったと思う。

 見終わったあとは、さんまさんはどうしてこの作品をプロデュースしたのかな・・・と思いをはせたのでした。