【読書感想】『姑獲鳥の夏』 ★★★★☆
前回『魍魎の匣』を読んで「これめっちゃすごい…。なんでもっと早く読んでおかなかったんだ…」と読んで脱帽してしまったので、シリーズの第一作『姑獲鳥の夏』を読んでみた。
『姑獲鳥の夏』はシリーズ第二弾の『魍魎の匣』よりも薄いんだけど、『魍魎の匣』よりも読みにくさを感じてしまった。(だからと言って『魍魎の匣』が読みやすいという意味ではないのだけど)
語り部の関口くんが京極堂のもとを尋ねるところからスタートするので、京極堂の薀蓄から話が始まるのだけど、その薀蓄が長い。
無駄な要素ではなく物語を読み解くに重要な伏線なんだけど、この小難しく中々想像しずらい薀蓄が「ついてこられるか」と一種のハードルになっている気がした。
そのハードルをヨイショ…と超えて読み進めていくと、なんだか語り部の関口くんがおかしいのがわかってきた。
この物語の事件の関係者だったからかもしれないけど、関口くんの反応に「いやいや落ち着けよ」と思うこともしばしば。それがもう一つの読みにくさだった。
というか関口くんがまとも(という表現をしていいのかとは思う。まともの定義とは何かという問題は置いておく)なら、この事件はさっさと終わっていたんじゃないだろうか。少なくとも密室で人が消えたという謎はさっさと明らかになっていたはずだ。
人は見たいものしか見ないとはよく言われる言葉だけど、現実逃避のために見たくないものが見えなくなってしまうというのもすごかった。
ただ密室ミステリーのトリックとしては、ものすごくシンプルなものだった。(これは『魍魎の匣』の時も思った)
だからこのある種拍子抜けするトリックは京極堂の薀蓄と、普通なようでいておかしい関口くん+性格は変人で人の過去の記憶が見える…人には見えないものが見える探偵の榎木津というミスリードを使って補強していて、なるほどな~と思った。
先ほどは関口くんがまともなら事件はさっさと解決していたんじゃないか?と書いたけど、でもあの時点で事件を解決したとしても、あのラストにはならなかったんだろうなあ…とは思う。
なんというか、胸糞…とは感じないけど救いがねえ~~。
久遠寺涼子には関口くんの存在が救いだったかもしれないけど、でも色々救いがねえ…。