インドア日記

ひきこもり系オタクのアウトプット置き場。アニメ、ゲーム、読書感想など。思いついたことを書いたりしています。

映画感想『羊たちの沈黙』

 

  

羊たちの沈黙 [Blu-ray]

 

 羊たちの沈黙を一番最初に見たときは、子供過ぎて内容をよく理解できずに忘れてしまった。

サイコパス」や「シリアルキラー」という単語に興味を持っていた中二病罹患時代の自分は怖いモノ見たさで見て、そのときは、レクター博士クラリスの何とも言えない関係性に、今でいうエモさを感じていた。

 じゃあ今は? 今の自分がこの作品を見たらどんな感想を持つのだろうと、この映画を見てみた。

 

 

 

 レクター博士クラリスの関係性のエモさ。でもところどころ怖いシーンがあり絶対夜見ちゃ駄目だ。

 ……というイメージを持っていた作品だったけど、色んな作品に触れてきた今の自分が見たところ、特にギョっとするほどの怖さは感じなかった。

 私としては、バッファロー・ビルをクラリスが追い詰めるシーンに若いころの自分は恐怖を感じていたんだけど、この映画の一番の恐怖ポイントって、クラリスが初めてレクター博士と出会うシーンじゃないかって思う。レクター博士が立ってるだけで、ぎょっとした。

 何で立ってるだけで怖いんだ。この怖さは実際に見たらわかる。

 

 

 今の大人になった自分がこの映画を見て感じたものは『女性としての閉塞感』だった。

 クラリスは男性から『女として』見られているシーンがわかりやすく描かれているのに、若いころの自分はそれに気が付かなかったのがちょっと不思議だ。

 優秀な成績を収めている実習生であるにも関わらず、仕事で捜査で来ているにも関わらず、クラリスは対峙する男性たちからデートに誘われたり、美人と言われたり、女性に性犯罪の話は聴かせたくないと言われたりしている。

 言葉にはしていないけど、女性だからとなめらているような視線もそこかしこに感じられる。

 その度にクラリスは軽く受け流していて、内心何を考えているかわからないけど、個人的には疲れるよな…こういうのって…と同情してしまった。

 

 

 対する捕まえるべき敵であるバッファロー・ビルは「女性になりたい男性」

 幼いころから暴力を受けていたせいで、変わりたいから女性になりたいというキャラクターだった。

 クラリスも、過去に子羊を助けられなかったというトラウマが原点にある。

 トラウマから連続殺人鬼に変貌したバッファロー・ビルと、トラウマと向き合い傷つきながらも訓練生からFBI捜査官に変身したクラリス

 その対比が面白かった。

 

 

 ストーリーは「クラリスレクター博士の協力を得て、バッファロー・ビルを捕まえ、子羊の悲鳴というトラウマを乗り越えようとする物語」と要約できるんだけど、はたしてクラリスがトラウマを乗り越えられたのかどうかは、個人的には断言できないなあ…。

 作中でもレクター博士の質問で「キャサリンを助けたら暗いうちに目を覚ますことも悲鳴を聴くことも無くなると思うか?」という質問に、クラリスは「わからない」と答えているし(その後のレクター博士の返事は「ありがとう、クラリス」)

 最後のレクター博士の「子羊の悲鳴は止んだかい?」という質問にも答えを出していない。(言葉が全てではないとわかっているけれども)

 

 …そもそも人食い鬼のレクター博士が自由になっている状況であり、彼が報復に動き出すという終わり方をしている。

 彼に喰われる被害者の羊はこれからも出てくるというわけで……。

 事件を通しトラウマと向き合って解決し、FBI捜査官となったクラリスだけど、状況としては彼女の周りの羊の悲鳴は止むことは無いんじゃないかな、と思ってしまう。

 

  のちの作品での立ち位置は忘れてしまったんだけど(ハンニバルは見たけどうろ覚え。レッド・ドラゴンは見てない。ドラマ版は怖くて見れなかった)、この作品だけを見ると、レクター博士は脇役だ。

 バッファロー・ビルを捕まえるというストーリーなので、レクター博士はヤバい要素を取っ払えば、安楽椅子探偵であり、クラリスの協力者なのだ。

 なんだけど一番面白かったところって、レクター博士クラリスの駆け引きシーンなんだよね。派手なアクションシーンでもない。会話しているだけなんだけど、演技のぶつかり合いというか、すごく引き込まれてしまう。

 

 本筋はバッファロー・ビル事件なのに、レクター博士は色々喰ってる。

 

 

 若い頃はレクター博士のキャラクター性が衝撃的過ぎて、それしか目に入っていなかったんだと思うけど、作中に込められたメッセージとか何となく読み取れるようになった気がする。それを言葉にしろと言われると……難しいのだけども……(汗)

 今見ても傑作だと思う。

 

 

 またもう少し年を取った頃にこの映画を見たら、また違うことを感じたり、今の自分がうまく言語化できないことも言葉にできるのかな…と思った。