近所のカエル一匹がまだ鳴き続けている件について。
おそらくご近所さんのお庭に生息しているカエルが、7月に入ってもゲコゲコと鳴き続けている。
日記を見返すと6月の初めの方にはカエルの鳴き声が聴こえてきたと書いてあるから、そのカエルは6月いっぱいゲコゲコと鳴き続けていたことになる。
晴れた日も鳴いていたし、雨の日も鳴いていた。
朝も昼も夜も鳴いていた…気がする。
大合唱しているわけではなかったので、別にうるさいとは思わなかった。
子供の頃は夜になるとカエルの鳴き声でうるさかったけど段々と田んぼがなくなり聞こえなくなったので、むしろ懐かしいな~という気持ちだった。
「お、鳴いてるね」「今日も鳴いてるね」
と、どちらかというとほのぼのとした気持ちになっていた。
しかしこれが今、鳴き声を聴くとちょっとした寂しい気持ちになってしまった。
「まだ、お嫁さん見つからないんだろうか…」と。
カエルというのはメスを呼ぶために鳴いているんだそうだ。
ここからはカエルの知識を対して持っていない素人のただの考察であるということを前もって言っておくけれど、
あの、ずっと鳴き続けているあのカエルはまだメスに出会えていないということになるのではないだろうか。
ちなみに我が家の庭から聴こえたカエルの鳴き声はあるときから聴こえなくなったので、メスに出会えたのではないだろうかと思う。
だからご近所さんの方角から聴こえてくるカエルの鳴き声が聴こえてくるたびに「まだお嫁さんに出会えていない、行き遅れたカエル」と想定してしまっている。
そう思うと周囲の友達は結婚しているのに恋愛経験もなく独身を貫いている自分としては、もの悲しい気持ちになってしまった。
カエルに対して同類なんて思うのもどうかしているのだけど。
私もカエルに詳しくないから断定はできないけれど、鳴き声が止んだ=メスを見つけてメスを呼ぶために鳴く必要が無くなったと定義したうえで、
どうして我が家の庭のカエルがお嫁さんを見つけることができて、ご近所のカエルが見つけられないのか…を考えると、
場所が悪い
…に尽きるのではないかと思う。(他の要因もあるかもしれないけど)
ご近所さんには小さな庭があるけどそのお隣は庭が無く、前方は道路になっていて自然はご近所さんで囲われている形になり、つまり途切れている。
対して我が家の庭はご近所さんよりも広く、庭の後ろは山につながっている。カエルが移動しようと思えば移動できる形になっている。
(でも水路がないのでどうしてここにやってきたのかは不明)
だからご近所さんのカエルがいくら呼んでも、メスはやってこれないのではないのか。
だからゲコゲコ鳴いているカエルは呼んでもメスが現れないとそろそろ察して、雨の日にでも頑張って移動した方がメスに出会う確率は高まるのではないだろうか。
そう勝手に結論づけてしまったわけだけど「なんだかな~」と思ってしまう。
だってそんな「場所が悪い」なんて結論は「改めて言わなくてもわかっているよ!」というシンプルである意味当たり前のことだ。
人間だって同じだ。可能性のあるところに移動しなくては芽が出るものも出ないし、ひきこもっていたって誰にも見つからない。
でもそんなこと「改めて言わなくてもわかっているよ!」なのだ。
わかっていても、なかなかできないものなんだ。
ご近所のカエルだって「移動すればいいのにな~」と私は勝手に思っているけど、何か移動できない事情があるのかもしれない。道路渡らないと移動できない場所だから怖いだろうし、他のカエルの縄張りだってあるのかもしれない。
でもそんなことで管を巻いたところで、見つけてもらわないとどうしようもないわけで。「見つけてもらうために行動する」方がいいのだろう。
…なんだか途中でカエルと人間(というか自分)を混同しちゃった。
カエル一匹の鳴き声で、ひきこもりオタクで行動力のない自分はやっぱりカエルの世界も人と同じようなもん(?)なんだなと感じてしまって、「なんだかな~」と思ってしまった。
まだカエルの鳴き声が聴こえている。
連日の雨の間に移動していなかったみたいだ。その鳴き声を聴くたびに「まだお嫁さんできないのかな」と自分のことを棚に上げたことを感じてしまう日が続いている。
ちなみにこの文章を書くために、鳴いているカエルがナニガエルなのかyoutubeで調べてみた。youtubeってすごい…。カエルの鳴き声も載っているんだ…。
色々なカエルの鳴き声を聴き比べてみたが、結局わからなかった。
君の名は?