感想『紫式部日記』 ★★★★★ 現代を生きるこじらせ女子は紫式部から学べるところあるかもと思った作品。
きっかけ
以前NHKの知恵泉で紫式部を取り上げた回を見たとき「こじらせ女子」という切り口で紹介されていた。源氏物語を書いた才女というイメージしかなかったので、見ていてとても面白かった。
「もしかしてネガティブ人間の大先輩なのでは…?」という思いも生まれて、もっと知りたくなったので読んでみることにした。
かといって原文は流石に読めないので、読みやすい解説付きの本から読んでみることにした。
読んでみたのはこちらの本。
紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス 日本の古典)
- 作者: 紫式部,山本淳子
- 出版社/メーカー: 角川学芸出版
- 発売日: 2009/04/25
- メディア: 文庫
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感想。
今でいうお仕事エッセイのようだった。意外。
前半の文章からは、仕事苦手、自分には向いていない、逃げ出したいという消極的な思いがひしひしと伝わってきて、ちょっと共感してしまうところもあった。
お祝いの席でお酒飲んだ人の応対大変そうだから今のうちに逃げ出そうとしたり(そして道長に捕まる)、神輿の担ぎ手を見て「どんな仕事だって大変だ」と書いていたり…。
私が世間並みの思いしか持っていない人だったら、もっと浮かれて生きていたのに。素晴らしい物を見ても、心を支配し続けている思い(正体については明かしていない)のせいで、気が重くため息ばかり出て苦しい。(意訳)…と、楽しそうな水鳥だって水面下では苦しそうと思いを馳せたりしている。なんかわかる…。
というのも私も、気晴らししようとしたところで懸念事項が心のうちにどっかりとあるうちはそればかり考えて、鬱々して病むネガティブ人間なので「もう少し普通な人間になりたかった」とか「相手なんて気にせず自由に言いたいこといえる人間はいいなあ。ある意味幸せだな」とか思ったりしてるのだ。いや、そんな人だって悩みを持っているのはわかっている。こんなこと思ってごめんよ。
そんな紫式部もときには、からかい・いじめに加担している時もあった。人間らしいな…。
紫式部の経緯を簡単にまとめてみると、夫に先立たれ娘と二人きりになり将来を絶望した彼女は、友人に進められた物語を読むことで元気を出し、自分でも書いてみるようになる。それが時の権力者の目・道長に留まり、宮仕えをすることになってしまった…らしい。
なんだかネットに小説をあげたら出版が決まり大ベストセラーになった作家さんみたいだ。…間違えていたらごめんなさい。
現代で言うなら普通(じゃない受領貴族だけど)の主婦がいきなり、政治の世界で働くことになった感じかな…?
ともあれ前半の彼女には仕事人としての意識は無かった。そして同僚も「自分の能力を鼻にかけた高慢な女」だと思い込んでいて、紫式部は緊張の初出勤…ではなく初出仕のとき同僚から無視をされてしまう。
それを受けた紫式部は落ち込んで五か月ぐらい引きこもってしまうのだ。なんてベタな嫌がらせ方法だ…。少女漫画か…? 他にも紫式部日記を読んでいると、女性社会は1000年経とうが大して変わっていないと思わされるところもある。
慣れない女房仕事、女性社会の気づまり、逃げ出したいけど逃げられない…。ネガティブ性格がちらほらと感じられるところが沢山あった。
そんな現代のこじらせ女子の大先輩・紫式部だけど、紫式部日記の後半になると、経験をつけ中宮彰子付きの女房として成長している。
彰子後宮を盛り上げるため意見を述べたり、清少納言を批判していたりする。清少納言の批判は、彰子後宮の前の清少納言が仕えた定子後宮が「枕草子」の影響もあり「あの頃はよかった…」と人々に言われているから。直接の面識はない二人らしいけど、清少納言は紫式部にとって超えなくてはいけない壁であったみたいだ。
宮仕えをすることで環境が変わり昔の友人たちと疎遠になって孤独を感じたり、変わっていく自分に自己嫌悪を感じたりしていた彼女だったが、キャリアを積んで成長しているのだ。
ネガティブさをひしひしと感じる紫式部も嫌だ嫌だと思いながらも立派に成長しているのだ。なんだか心の大先輩だよ…。1000年ぐらい前の人だけど…。
パイセンの成長に寂しくもあるが、ちょっと感動もしてしまった。
同じく何かに嫌だ嫌だと思いながら生きている自分もがんばりたい、と思ってしまった。
ところで紫式部の出世術がおもしろい。
同僚から、きっと自分の能力を鼻にかけた傲慢な才女だろうと思われ無視されて傷ついた彼女は、「私、わかりません。知りません」という態度をとり相手との会話を避け、面倒くさいことから逃げる作戦を取る。
そのせいで近づきがたいイメージは消え、おっとりした人間なんだと相手から思われる。天然ボケだと見下されたのかもしれないが、それを自分の本性にしようとひらめき、職場での居場所を獲得していくわけだ。
他にも本当は漢文読めるのに、その知識をひけらかすことはしなかった。「女性らしくない」という批判を避けるため…なのかな。なるべく目立たない様にしていたようだ。
多分、この波風立てない戦法は現代でも通じると思う。「知っているのに知らないふりして面倒事を避ける作戦」は私も普通にやるときある。
あんまり馬鹿にして来るような人は、相手が知らないような教養・知識をさりげなく見せつけてやると静かになると母も言っていたなあ…(遠い目)
紫式部日記からは紫式部の観察眼もそうだけど、風景の描写の美しさ、なにより自分の感情をきちんと言葉にできているのがすごいと感じてしまった。
こんなに文字に溢れ本を手に入れやすくなった現代でも、なかなか難しいと思うのに。今から1000年前の紫式部は自分の思ったことを言葉にしている。すごいなあ…。
現代を生きるこじらせ女子は読んでみると面白いと思う。