インドア日記

ひきこもり系オタクのアウトプット置き場。アニメ、ゲーム、読書感想など。思いついたことを書いたりしています。

映画感想『銀河鉄道999』

 

銀河鉄道999 [Blu-ray]

 

 

 地上波で何かしらのアニメ特集が組まれる時に、必ず入っていると思われるこの作品。

 自分が生まれる前の作品なので見たことが無いのですが、そういった特集は見ていたものだから「鉄郎と謎の美女メーテル銀河鉄道999に乗って旅をする」という大雑把なあらすじとラストの「鉄郎とメーテルのキスシーン」そして「さあゆくんだ、その顔をあげて~」というゴダイゴの曲は知っていました。

 考えてみたらメーテルの正体は全然知らなくて、謎の美女と少年のキスシーンを見せられていたことになる…。知らないので見てみることにしました。

 

 

 

 母親を機械伯爵に殺された少年・鉄郎が、『無料で機械の体をくれる星』に行き機械の体を手に入れ、そして機械伯爵を殺すためを目的に銀河鉄道999で旅をする。というのがストーリーラインです。

 謎の美女メーテルは「一緒に連れて行ってもらう」ことを条件に、自分の銀河鉄道999のパスを鉄郎に渡します。そして二人は一緒に旅をすることになるのです。

 

 

 銀河鉄道999といえばメーテルと言っても過言ではないほどの知名度ですが、パッとこの映画を見た限りでは、冒頭と最後を除き、メーテルの存在感は薄いです。物語が鉄郎の冒険、成長、敵討ち…を描いているからでしょうか。

 しかしメーテルの正体がわかる終盤を見て、そしてラストの別れのシーンはやっぱり銀河鉄道999といえばメーテルなんだな…というインパクトがありました。

 

 

 メーテルという存在は、鉄郎少年にとって母親の生き写しの姿を持ち、美人で優しく諭してくれる年上の姉ポジションで、異性として好きになる対象でもあります。

 その正体は、機械化母星メーテルの女王の娘でした。

 母親の命令で「機械化母星の部品のために人間を連れて行く任務」を行っており、同時に父親と一緒に「機械化母星を破壊するために同士を連れて来ていた」作戦を行っていました。ワルキューレじゃん…という感想は置いておきます。

 その正体が明らかにされた辺りから、私はメーテルから親の支配から抜け出せない、自立できていない幼さを感じてしまいました。

 正体が明らかにされても鉄郎に何も話さない姿を見たり、母親と父親の命令に板挟みになっているシーンなどから特に。

 この段階の鉄郎は機械伯爵を倒し、機械の体へのあこがれを捨て「機械化母星の破壊」という新しい目標を得て精神的に成長しているので、その対比で余計にそう見えてしまいました。

 

 母親のようでもあり姉のようでもあり、好きになった異性でもあり、精神的未熟さを抱えた守るべき存在でもある…。

 

 なんだこの、少年のあこがれ欲張りセットのようなキャラクターは…。(個人の感想です)

 

 鉄郎はメーテルが好きになりますが、でもメーテルの体は鉄郎の母親のものらしいので(詳しくはよくわからない。wiki見てもわからない…)、これ以上の恋愛に進むことは難しいんじゃないかなと私は思ったんですよね。

 そう思った矢先、鉄郎とメーテルの別れのシーンで、メーテルは自分の本当の体を取り戻すことを告げ、本当の体に戻って鉄郎のそばに戻っても鉄郎は気づくことは無いと言います。

 

 そして「私は、あなたの想い出の中にだけいる女。 私は、あなたの少年の日の心の中にいた青春の幻影」と言って別れるのです。

 

 このセリフを聴いたとき、鳥肌立ちました。

 

 メーテルの乗った列車を見送り、顔を上げた鉄郎のシーンで「さあ、ゆくんだその顔をあげて」「あの人は思い出だけど君を遠くで見つめている」と曲が流れまして、名曲だと言われていて、まあいい曲だなとは思っていましたけど、マジで名曲だと思いましたね。マッチしてるんですわ…。作品とシーンと。

 

 

 それで、上記のセリフに戻るんですけども。

 メーテルが元の体に戻って鉄郎のそばにいても、鉄郎は気が付かない。メーテルと再会したところで、それは鉄郎少年の目の前にいる今のメーテルと同じではない。

 メーテルは「あなたのそばに戻ったとしても、あなたは私に気が付かない」と言っているのでおそらくは自分から名乗るつもりもないのでしょう。鉄郎少年が今のメーテルに抱いている好意はここで終わりなのです。

 二人の関係性は銀河鉄道999に乗ることで始まり、降りた時点で終わり。機械の体を手にして永遠の命を得るという要素があるのに、なんて儚い。

 この作品では「男は旅に出るものだ」と度々言っています。

 鉄郎少年は銀河鉄道999で旅に出て成長し、地球に戻ってきました。もう精神的に成長した男です。そこでメーテルと別れるということは、本当にメーテルは鉄郎の少年時代の象徴なのだなと思ってしまいました。

 

 

 メタ的かつ個人的な感想ですが、子供時代の年上の存在の「あこがれ」などというものは子供が大人になるにつれて、そのキラキラさが消えて行く気がします。

 好意が変わらず続いていたとしても、人は成長するのだから、その時と全く同じ好意では無いでしょう。時間が経てば自分も変わりますし、相手も変わってしまいますから。

 

 じゃあ年上の存在の「あこがれ」をそのまま保つにはどうすればいいのかというのかというと、二度と会わずに思い出の存在にするしかないんですよね。

 

 年上のお姉さんは少年と別れることで、少年の思い出の中で彼があこがれを抱いたときの姿のまま永遠に生き続ける…ということです。

 

 メーテルは『年上ヒロインの究極形*1』らしいのですが、見たら納得しましたし、きっとこの別れも入っての評価なんでしょうなあ…。

 

 銀河鉄道999=鉄郎の少年時代の物語=鉄郎の少年時代の幻影・メーテル

 という感想を持つと、今まで切り取られた形でしか見たことのない「鉄郎とメーテルのキスシーン」もメーテルのラストのセリフもゴダイゴの曲も、めちゃくちゃぐっときました。

 これは全部通して見ないとわからない感覚でした。

 

 

 

 

 余談ですが、キャプテン・ハーロック、めっちゃかっこよかった。

 男の子だったらメーテルにあこがれるし、女の子だったらキャプテン・ハーロックにあこがれるんじゃないかなあ。

 当時、映画を見に行ったという母親にそれとなく聞いてみたら「ハーロックが好きだった」と言っていて、やっぱりと思いました。