映画感想『さよならの朝に約束の花束を贈ろう』
泣けると話題になる映画って、見る前に大抵構えてしまいます。
「ホントに感動できるのかいな」とか「ほ~ん、この私を泣かせられるかな?」って見る前になめてかかります。
で結果と言うと、最後のシーンで視界がぼやけ、ティッシュで目頭を押さえました。
私の負けです。
以下はネタバレ感想記事になります。
縦糸は流れ行く月日。横糸は人のなりわい。
人里離れた土地に住み、ヒビオルと呼ばれる布に日々の出来事を織り込みながら静かに暮らすイオルフの民。
10代半ばで外見の成長が止まり数百年の寿命を持つ彼らは、“別れの一族”と呼ばれ、生ける伝説とされていた。
両親のいないイオルフの少女マキアは、仲間に囲まれた穏やかな日々を過ごしながらも、どこかで“ひとりぼっち”を感じていた。
そんな彼らの日々は、一瞬で崩れ去る。イオルフの長寿の血を求め、レナトと呼ばれる古の獣に跨りメザーテ軍が攻め込んできたのだ。絶望と混乱の中、
イオルフ一番の美女レイリアはメザーテに連れさられ、マキアが密かに想いを寄せる少年クリムは行方不明に。マキアはなんとか逃げ出したが、仲間も帰る場所も失ってしまう……。
虚ろな心で暗い森をさまようマキア。そこで呼び寄せられるように出会ったのは、親を亡くしたばかりの“ひとりぼっち”の赤ん坊だった。
少年へと成長していくエリアル。時が経っても少女のままのマキア。同じ季節に、異なる時の流れ。変化する時代の中で、色合いを変えていく二人の絆――。
ひとりぼっちがひとりぼっちと出会い紡ぎ出される、かけがえのない時間の物語。*1
長命種と短命種の寿命の違いという運命を描いた作品でしか得られない栄養素がある。
すいません、言ってみたかっただけです。
ストーリーの主軸としては、イオルフという長命種の少女マキアが人間の赤ん坊エリアルを拾い、育て、母親になっていくというものです。
月日が流れエリアルは成長し、親離れをする。映画のラストではマキアが老いたエリアルを看取るというものでした。
正直に言うと、死に別れのシーンで泣かせに来るんだろうなってわかっていました。
だって鉄板ですもん。その予感は的中したのですが、それまで積み重ねた2時間のストーリー、看取った後の怒濤の回想シーンで「あれ…私、泣いてる…」となりました。
泣く要素は王道パターン、テンプレだったのですが、それを匠の技で泣かされました。匠の技で泣かされたと感じたのは、ヴァイオレット・エヴァーガーデンを見て以来です。
マキアはエリアルを拾い、なんとかお母さんになろうとしている少女でした。
子育てに協力してもらっていたミドの元から離れ、レイリアやクリムと再開するも別れてしまい、疲れからエリアルとも喧嘩してしまう(その子どもに叱責しているシーンがファンタジー作品なのに、リアルあるあるネタ)
中盤になると、年を取り思春期に突入したエリアルからは「お母さん」と呼んでもらえなくなります。「ちょっと」とかそういう風に声をかけられるという…。思春期あるあるとはいえ、寂しい。
エリアルが軍に入り、マキアが連れ去られ、2人は離ればなれに。
その2人の再会。そして別れ。引き留めるときの「お母さん」呼びに、涙がうるっときました。
そしてまた月日が流れ、マキアが老いたエリアルを看取り、帰ろうとするシーンでエリアルとの怒濤の回想シーンが流れます。
看取りのときは静かであっさりとしていて、看取り終わった後に回想シーンがブワーと流れてくるのです。エリアルの幼少期から成長した後までの全部が。
その演出っていうのが、本当にそれっぽくて。
ペットの話になってしまいますが、かわいがっていたペットが死んだ直後は「あ、死んじゃったな…」ぐらいで自分でも自分のあっさりさに驚いたのですが、お墓を作ったり色々終わった後にぶわ~と涙が止まらなくなったのです。
マキアは人間とは違う種族だから、別れの覚悟も終わっていてあっさりと終わるのかなと思った矢先に、マキアは声を上げて泣き出すんですよ。私も泣くよ。
そして冒頭、長老に言われた言葉とは反対に「それでもエリアルを愛して良かった」と彼女は答えを出すのです。
上記が感動したところなんですけど、もう一つ映画を見ていてどうなるのか気になってしまったのが、マキアの友人のレイリアなんですよ。
メザーテに連れ去られ城に幽閉された彼女は、王子の子どもを生まされてしまうんです。しかしその娘のメドメルには会わせてもらえないと。メドメルにはイオルフの特徴は引き継がれず、メドメルは父にすらも疎まれている…という。
そして最後、レイリアはメドメルに出会うのですが、そのときのセリフが要約すると「私のことは忘れて。私もあなたのことを忘れるから。城に幽閉された期間のことはヒビオルには記さない。こんなこと長い人生の綻びのようなものだから」のようなことを言うのです。
それを聴いて「え…、メドメル可哀想」と単純に思いましたよ。残酷な捨て台詞といいますか。父親からも母親からも捨てられたってことじゃないですか。それに対するメドメルは「母さまは綺麗な人だった」と言うのです。
でも、レイリアは「メドメルに会いたい」とずっと言っていたのです。なのにどうしてこんな捨て台詞を言い放ったのかな…と。
マキアとレイリアは対照的に描かれていて、マキアはエリアルと血の繋がらない親子だけど、子育てを通じて母親として成長しました。
しかしレイリアとメドメルは血が繋がっていますが、すぐに引き離されてしまったので、レイリアは母親としての成長が無かった。母親にはなれなかった…ということなんでしょうか。
クリムも変化を嫌がっているみたいだったし、不老長寿で若い外見のまま止まってしまうイオルフの民はずっと思春期状態なのかな…と。
その3人の対比も、見所でした。
こうつらつらと書きましたが、他の方のネタバレ感想記事を読むと、私が「?」と思った点の納得する答え・考察が書かれており「なるほどな~」とわかりました。私の感想は浅かったです。実際はもっと深い…。
もし自分の感想記事を読んでいる人が居たら、別の人の感想記事を読んでみることをオススメします。
正直「これってどういうこと?」という点はあるっちゃあるんですが、(おいしいところで登場するバロウとか)結局泣かされてしまったので私の負けです。見て満足した映画でした。